雨雲当番ポタン
エピソードを選ぶエピソード4: 使った水はどこへ?
(3)下水道がないところでは?
陽太は小さな生き物に、下水処理場がない場所ではどうするのか聞いてみました。
「下水処理場がないところでは、家や集落に浄化そう(じょうかそう)というタンクを置いて、
水をきれいにすることがあるよ。それもない場合は、川や湖によごれた水がそのまま入ってしまうんだ。
すると、川や湖がよごれてしまうよね。」
「昔はね、日本でも多くの場所で、よごれた水がそのまま川に流れこんでいたんだ。
生き物がくらせない川もあったんだよ。」
小さな生き物の話を聞いていると、陽太たちのそばを作業着を着た人が通りすぎていきました。
「ここでもおおぜいの人たちが仕事をしているんだね。」
「うん、大切な水をくり返し使うために、毎日働いているんだ。」
陽太はこれまでの旅で、水を守るために働くたくさんの人を見てきたと思いました。
「ぼくたちが使っている水は、多くの人たちの手でとどけられているんだね。」
「そうだよ、ぼくらもいっしょうけんめいお手伝いしてるから。」
小さな生き物はうれしそうに言うと、ポタンに向かって、
「雲とりぼうを持っているということは、きみは雨雲当番だね。
クイズに正解したら、ぼくの持っている雲のかけらをあげるよ!」
と言いました。
下水道の歴史
日本では、ずっと昔から、し尿を農作物の肥料として用いていました。そのため、ヨーロッパのように、し尿を直接川に流したり、道路に捨てるという事はあまりありませんでした。従って、我が国の下水道は、雨水を流すためのものとして作られてきました。安土桃山時代には、豊臣秀吉が作ったとされる背割下水(せわりげすい)(太閤下水)があり、一部は現在も使われています。
しかし、明治時代になって、人々が東京などの都市に集まるようになると、大雨によって家が水に浸かったり、流れないで溜まったままの汚水が原因で、伝染病が流行ったりするようになりました。そこで明治14年(1881年)に横浜、明治17年(1884年)には東京で汚水を流すための近代下水道の建設が始まりました。
今のように、全国的に下水道が作られるようになったのは、第二次世界大戦以後、産業が大変発達して、人々が一層都市に集中するようになってからです。また、昭和30年(1955年)頃から、工場の排水によって川や海の汚れが目立つようになりました。そのため、汚れた水を綺麗にして川や海へ戻す下水道の役割がより重要となっていきました。
昭和45年(1970年)には、法律で、下水を処理することが定められ、現在のし尿を処理する下水道が確立されました。
日本では下水道の歴史が浅いため整備が遅れていましたが、現在では、日本の人口の約77%の人達が下水道を使えるまでに整備されてきました。